"ゆ"の環境
緩やかで
豊かで
ゆとりのある
ゆの環境
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繰り返す波の教えるのは
ただの一度も本当の繰り返しはないということ
後悔 五つの感情 谷川俊太郎
その一言は・・
人の言葉に一喜一憂するのではないけれど、
人から伝えてもらった言葉に助けられることはある。
わたしは言葉を知らない。
だから自分の感情さえ的確な表現を知らなくて
心の底で引っかかってしまうことが時々ある。
変だけど、自分の感情を人が的確表現で
伝えてくれることで腑におちてすっきりする。
「このドキドキは何??」と思い悩む当人に
「それは恋ですよ」といわれて初めて
「あぁこれは恋なんだ!」と気づくという
ドラマのひとコマのような・・・
また、知らなかったためにあきらめていたことも
思わぬところで耳にする内容が
ひとすじのひかりとなることもある。
『心と体を切り離す』ということ
「心と体はひとつ」
そういう表現をよく見聞きしますし、わたくしも時として伝えています。
「心と体を切り離す」ということは、できそうでいとも簡単に・・とは案外いかないものですが、できるのです。
わたくし自身が実験してみたことで、痛覚に対して実際の痛みと痛いと思う意識を違う意識に向けてみました。
すると、"痛い"という意識をもったまま、その痛みに対して向き合っていると、確かに痛い。
しかし、実際は痛いけど、痛いという意識をほかに向けたことで、痛みを感じませんでした。
これによってわかるのは、人の意識が痛みを"痛い"という先入観をもっていること。
が、意識を痛みの対象からはずすことで、痛い感覚がなくなるのです。
これでようやく腑に落ちたことがあります。
それは、潜在意識の存在です。
漠然と潜在意識の存在について感じていたところがあったのですが・・
このことについては、次の日記に続く。
言葉の言い回しについて
『這ってでも〜』
体調が最悪なときに、どうしても穴をあけられない状況でこの表現をつかわれるとおもうのですが、言葉を発するときの心情によって違いを例えてみました。
1)本当は休みたいのに、行かないといけない・・という義務感
2)確かに辛いけど、そのことはどうしてもやりたいんだ。いきたいんだ。・・・という意欲から
同じ言葉の言い回しでも1と2では、根底にある想いが異なります。
潜在意識に伝道することにとらわれすぎると、言葉が発せなくなりそうですが、私的には、根底にどんな思いをもっているのか・・で違いがあるような気がします。
ただし、謙遜しているための否定語を発するというのは、やはり(潜在意識へ)伝道具合がよろしくないかもしれませんね。
わたしって何も取柄がないから○○なの。・・や
できないかもしれないけど、やってみる。など